2008
いやぁ~、面白かった!こんなにお腹いっぱいになったのは『フラガール』以来だね。
ネタバレはしないけど、先入観なく観たいって人は戻るボタンを。
冒頭の演出、あぁ、やっぱり三谷すごいわ~と感じました。
明らかにセットだとわかる舞台に、大袈裟な演技のような台詞回し、映画のようなギャングのやり取り……
最初地に足が付かない感覚を味わったのは私だけでしょうか?
いつこの偽者の世界が「カット!」の一言で解けるのかとそわそわしてしまう。
なのに、そんな期待を裏切るように「まるでこの街、映画みたいですね」なんて言われた日には「これがリアルか!」と総ツッコミ。
映画の中なんて所詮作り物の世界なのだから、映画の中においてのリアルが何かを把握するのって忘れがちですがたぶんとっても大事なことなのですよ。
例えば、魔法が使えることが夢なのか、もしくは現実で普通のことなのかって超重要なことじゃないですか。それによって完全なるファンタジー映画なのか、現代の魔法少女の話なのかが決まるんだから!
映画のような街のシーンがずっと続いたあと、佐藤浩一の語りが入ります。
しばらく語ったあと本物のように見えていたマジックアワー(昼と夜との間)の空の背景が取り外され、そこに広がる自然光と舞台裏の情景。そしてタイトルコール。
やっと地に足がついた!私がどれだけ安心したことか。
昼と夜、映画と現実という二つの異なった世界が交じり合うマジックアワー。
観ているうちにどちらがどっちの世界なんだかなんてどうでも良くなって、さらに大きな世界から全体を見れるようになる。お、メタの視点を手に入れた!?
この感覚はTAKESHI'Sを観た時にも覚えた。たぶん、きっと意識したんじゃない?ギャング映画だし。主人公は売れない俳優だし。
TAKESHI'Sを別視点から面白おかしくしてみたらこうなった、って感じ。
あれも何が現実で何が夢でなにが芝居なのかが㍍つしてくるのです。
最後の最後の「カット!」の声。
これはデラ富樫の物語に向けたものだったのかな?それともザ・マジックアワーという映画に向けたものだったのかな?
私たち観客は、いったい何を鑑賞していたのだろう?
わからなくな~る~。
胸を張って薦められる映画です。
2008
見てる最中は「やべー、やっぱ相棒おもしれーよ!超あっちぃよ~!!」って思えていたのですが、いざエンディングを迎えた時に残ったものは虚無感でした。
こんな感覚、他でも味わったことはあって。あれです。FF12。
プレイ中はメチャメチャ楽しんでいたのですが、ラスボスを倒した後の「俺の70時間を返せ」という雰囲気。
やることなすことがその場限りで否定され、じゃぁ次の手だ!という安易な流れ。普通「あの時の行動はここに繋がってくるのか~よく練ってあるな~」ってのが良作の物語。
相棒もほとんど同じです。単にいろいろ詰め込みすぎたのだと思いますが。
「チェス頭脳戦」と「マラソン爆破事件」と「邦人誘拐殺害事件」をドラマ枠で3話分にしたらすごくいいものが出来たと思う。
フジの某有名警察ドラマを意識したのはわかるのだけどね、ドラマの作り方、活かし方はフジは圧倒的すぎてとても同じレベルには……テレ朝はドラマ作り苦手なんだから!
フジはドラマが映画になったところで基本軸は絶対にブレないのですよ。コンセプトを絶対曲げない。
いくら映画版になってスケールがでかくなったからといって、警視庁で邪魔者扱いされている島流し同然の特命係が公安指導の捜査本部で中心になって発言しちゃダメでしょうw
相棒の中で私が毎度楽しみにしている右京さんによる犯人説得シーン。
これも映画版はベテラン俳優の演技に助けられて(思わず涙するほど)いいシーンのように映りましたが、よくよく考えると変な話なのですよ。
犯人の動機と行動が全く連動していない。動機ありきの事件でなければならないのに、明らかに大事件ありきの後付感動動機で……
せっかくなので、以下ネタバレしつつ考察しちゃうよ。
●最初の三人の被害者の不可解
まぁ、まず大きいのは、わざわざSNSで殺人予告する必要あった?ってこと。
著名人を糾弾するだけの、地味で暗くマニアックなサイト。余命少ない犯人がわざわざ管理権を奪いサイトを運営するなんて面倒なことする理由がわからない。
見つけたのも本当に偶然で、ここでの予告が気付かれなかったところでストーリーになんら影響は出ないと思うのです。
せめて2chかミクシィの擬似サイトにしておけばよかったんじゃないかな?
そして、この3人が命を狙われる理由もちっぽけ過ぎる!
犯人の最大の目的はSファイルの存在を世に知らしめること。息子の汚名を返上すること。
その為には、当時の外相の娘を殺してしまったらそれこそ闇に葬り去られてしまうわけだし、他の2人にしたって生きていてもらって当時の自身の発言を謝罪させたほうがよっぽど報われるのでは?
テレビでちょろっと批判しただけで無残に殺されたのではたまったものではありません。
そもそも、国家の勝手によって理不尽に見殺しにされた息子のために戦っていたわけですが、
人の命の重さは犯人が一番わかっているだろうに、そう簡単に3人も殺める必然がない。
なんで元首相だけは最初から殺さないつもりだったのかも疑問。一番殺らなければならない相手でしょうに、犯人にとって。
●塩谷は自殺か他殺か
自殺であって欲しいですがね。さすがに。でも、自殺にしては不自然な点が多いのですよ。
死ぬだけなら青酸カリだけで十分でしょ?爆弾を仕掛けるにしても自殺ならばボタンを押してドカン!でいいわけです。
わざわざ時限爆弾にしたこと、扉のロックもあとでかかるようにしたことを考えるとやはり殺されたのかも、と考えてしまうわけです。
青酸カリで動けなくしたあと(即死でもおかしくないはずの青酸カリをほんの数量だけ飲ませるなんて鬼畜ですね)散々「卑怯者!」となじった後、「これが爆発するまでの間、せいぜい神様に謝り続けな!」なんていう捨て台詞を残して時限爆弾を起動……
そんな、利用するだけ利用しておいてまさに捨て駒のように(涙)
真犯人に繋がるきっかけとなったアレも、その場でコーヒーを飲んだ証拠です。コーヒーに青酸カリを混ぜたのですかね……
塩谷先輩可哀想です><。
綺麗な話にまとめようとしているみたいですが、それにしては無駄に人が死にすぎるんですよ。
●犯人のプライド
プライドはないのか。
先も述べたように、一連の事件の目的は「国家によって理不尽に見殺しにされた息子の無念を晴らすこと」
では、映画の観客に対して訴えたいことはなんだったのか。犯人の動機と行動と物語がまったく連動しないので非常に困惑してしまうわけです。
だから、後に残るのは虚無感。いったい今見てきたものはなんだったの?
警察官僚ひとりの命を守るために所轄の刑事が犠牲になる現実を訴えた『踊る』。「どうして現場に血が流れるんだ?」はこのドラマのコンセプトを最高に表現していると思います。
代議士の汚職を暴くことが「小さな」殺人事件を解決することになる。そうだとしても、決して「大きな」汚職事件をクローズアップすることなく「勘違いするな、これは人の命の重さを考える裁判なんだ!」と言い切った『HERO』。
うん。規模は大きくなろうともブレない、ブレない。フジブレない。
警察をミスリードし続け、最終目的である裁判でSファイルの存在を明らかにするという一部の流れは非常に面白いのだから、それを全編にわたって貫いて欲しかった。
一滴の血も流さず、鮮やかに目的を達成して欲しかった。
そういうシナリオも絶対描けたはずなのに、話題性だけを狙って映画のためだけに人が死んだのは非常に残念なのです。
相棒でそれをやられたのもショックなのです。
すごい、辛口なことばかり言ってしまいましたが、ドラマ版は続編希望組です!よ!
でも、映画第2弾は思いとどまって!
2007
さて、またもレンタルですが【どろろ】
評価:★★★☆☆
■作品紹介■
生まれながらにして己の肉体を48の魔物に分割されて奪われた百鬼丸。五体不満足であったために捨てられつらい幼少期を過ごす。本当の体を取り戻すべく左腕に仕込まれた刀で魔物を退治する旅に出る。
一方、戦乱の最中に両親を失ったどろろは女であることを捨て男として暮らし、いつか仇である天下統一を目論んで戦を繰り返す醍醐景光を討とうと考えていた。
そんな親の愛に恵まれなかった二人が出会い、百鬼丸の体を取り戻す冒険に繰り出すのだ。
■感想■
今回こそは、もう突っ込んだ感想はなしで。軽く。
日本映画も最近は惜しみなくCGを使って迫力ある映像に仕上がっていますね。ただ、昔ながらの斬る真似プラス血糊に慣れてしまっているせいかすぱっと人間の体が真っ二つになってしまうのはリアリティがなくてちゃちく見えちゃうのは私の心が汚れているからですかね……
あと衝撃だったのはまさかのダイジェスト。
そら48戦も丁寧に扱っていたら終わるものも終わらないんだけど、あの演出はないわーと思った。もっと他の構成はできなかったのだろうか?
もう、無理に48戦しなくてもいいじゃない。最悪設定もいじっちゃって8つに分けられたとかにしちゃうとか。
敵も、最初はすごいCGだったのに、途中出てきたのは着ぐるみレベルの何かで、脚本もテンポも演出も全体的にムラが目立つなぁと感じてしまいました。。。
手塚治虫の描く話の魅力はアクションでなく人間の醜さとかちっぽけさとか愛しさだと思ってます。
そういうエピソードが埋もれ気味になってしまってちょっぴり残念でした。
厳しいことばかりになってしまった……
2007
はいはい。気ままに気ままに。
レンタルで【大奥】を観ました。
評価:★★★☆☆
■作品紹介■
時は七代将軍家宣公の時代。幼くして将軍になった家宣を巡って表では男たちの政の争いが、そして大奥でも女の激しい覇権争いが静かに巻き起こっていた。
先代の寵愛を一身に受け現将軍の聖母となった月光院だが、先代亡きあと子宝に恵まれず不遇の扱いを受けた先代正室らに激しい恨みをかってしまっていた。
月光院のスキャンダルを暴いて今の地位から引き摺り下ろすべく、月光院の側近で大奥総取締役の絵島のスキャンダルをでっち上げる計画が上がった。
絵島を陥れる役で白羽の矢が立ったのは歌舞伎役者の生島。金の為に引き受けた仕事であったが、絵島の知性溢れる凛とした姿や、それでいて初心で純情な心に次第に惹かれていってしまう。
■簡易感想■
私の力不足で流れが紹介しきれていないのですが、このスキャンダルでっち上げ計画には女の妬みだけでなく男の政治的策略も含まれます。そこが大奥シリーズを通して面白いところなのですが、今回の展開にはやや迫力がかけるかなぁと思うところがあります。
その点については以下で詳しく。
その他、衣装やセットの豪華さは言うまでもなく、豪華キャストの使い方も太っ腹!シリーズ内でゆかり深い人々がちょろちょろ出てきて、ホントなんだかすごかったです。
以下の文には一言だけ大ネタバレが含まれますのでご注意を!
■突っ込んだ感想■
えー、物足りなかったと思う点についての補足説明ですが、この作品をものすごい評価している人は以下読まないでね。
批評とはつねに評価と批判が隣り合わせであるものとご理解いただきたい。
さて。
物足りなかった理由には深みがないこと挙げられます。
ドラマが仮に50分×8回だとすると、映画はたった120分。ボリュームとしては圧倒的に劣ってしまうわけです。
だからといってドラマと同じくらいの内容の濃さを求めるのも酷な話ですが(逆に詰め込みすぎて失敗している映画を何本も知っているので濃いだけが成功ではないのはもちろんです)メインの絵島と生島の恋すらもしっかり描ききれていなかったように思います。
先にも述べたように大奥シリーズの面白いところは男の政治と女の恋とが入り混じった策略合戦。
ドラマが毎回8回分クライマックスがあってばったんばったんと戦況が入れ替わるのに対して、今回の映画はわかりきった結末へ一直線でストーリーの深みにかけていました。
絵島と生島のスキャンダルの背景には月光院と間部との密通があります。さらにその二人をそれぞれ妬む天永院(先代正室)と秋元(役職が忘れた……が間部のライバル)の存在があり、この関係だけでも一筋縄ではいかないストーリーになるはずなのです。
映画という性質上背景の描き方はこれが限界だったにしても、それならばもっと絵島と生島が惹かれていく様子を丁寧に描写すべきだと思います。
学業は出来ても男を知らない初心な絵島が、ちょいワルの男が気になっちゃうというのはわかる。街ゆく人影の中を自然に探してしまったり、女といるところを目撃してちょっぴりショックを受けたり。わかりやすい乙女心。
問題は生島。いつの間に絵島に惚れた?
想像できるのは船着場の宿で絵島に突っぱねられた時。「こんなに釣れない女は初めてだぜ」という展開でしょうか?
しかし、自分が死罪になってまでかばわなけばいけないような大恋愛だったかどうかは疑問です。
ただでさえ二人が出会う回数が少ないのですから、せめて火事の後のデートはもう少し尺をとって途中出てきた台詞のように「二人で並んで風に吹かれて、笑って、話をして、話をしないで、相手がどんなことを考えているのかを考える」ようなシーンが欲しかった。かな?
きっと、ドラマでリメイクされたらこれは面白い物語になると思いますよ!
リメイク……は無理か……。
2007
ということで、もう少しハードルを下げてしまおう。自分でまだこのブログの方向が決まっていない部分があった。
評論とか、そういうのがやりたいわけじゃないからね。もっと気軽な感想でいいじゃない!
と、方向性も決まったところで、『憑神』です。
(公式HP:tsukigami.jp/index.html)
今回は同じ浅田次郎原作でも映画の方を観てきました。
(cf)メトロに乗って:kagoneko.blog.shinobi.jp/Entry/2/
評価:★★★★☆
■作品紹介■
出世に恵まれない下っ端武士の彦次郎。出世を祈願したお社は三巡神社。
そこは神様の中でも喜ばれるような類のものではない神様が奉られていた。
彦次郎に取り憑いたのは貧乏神、疫病神、そして最後は死神だった!
江戸時代を舞台にした時代劇コメディ。
■簡易感想■
浅田次郎がこんなにいろんな方面の物語を手がける人だったとは知らなかった!サーセンw
江戸っ子の粋な義理人情もふんだんに盛り込まれているし、それぞれの神様も楽しいキャラで憑いてほしくはないけど微笑ましい話でした。
また、三人の神が一気に憑くのかと思ったら順番に巡ってくるというのもユニークでいいなぁと思いました。
そのかわし方もだんだん高度(?)になっていき、真面目に生きていれば神様だって動かせるよ、というメッセージだったのでしょうか。
単純に「笑える」だけでなく、主人公の成長も見られる、良作だったと思います。
■突っ込んだ感想■
褒めっぱなしじゃいけない!☆ひとつ欠けてるところについて言及を。こういう話にネタバレもなにもないかと思いますが、一応未見の方は読まないほうがいいかも?
少し気になるところがあるのですよ。
元から才能も器量もあって周囲からも「もったいない」と言われるような人材ではあった。
話は「出世できますように」という神頼みから始まるのであるから主人公が出世するラストであるのも問題ないと思う。
ただ、そうなると神たちのポジションがそれぞれ微妙になってくる。
最初に出世できたのは疫病神が兄に鞍替えしてくれたからであるが、もっと出世できるチャンスを潰したのは死神だった。
疫病神のエピソードは主軸に沿っているとして、死神のところだけがどうも納得できないのです。
子供たちには「新しい国になるのだから死んではいけない」というのは、うむ、納得。
「では私が影武者として名誉の為に死にましょう!」………なぜーーーーー???
結局は死神の力は最強ということか?
これを全て解決する方法。それはこう解釈したらよいのです。
神の力も、彦次郎の意志には敵わなかった
貧乏神は若干例外ですが、疫病神は彦次郎の真っ直ぐで律儀な生き方に惚れて鞍替えした。
死神は彦次郎の優しさや強い信念に惚れて鞍替えした。
死神が離れてもなお死亡フラグが再びたったのは彦次郎の意思だったから。
それまで死神は「死ぬきっかけをお膳立てするだけだ」と言っていたが、最後の死は「心中」である。自ら死にに行ったのだ。
これはもう死神の力ではなく彦次郎の選んだ死だったのですね。
家宝が偽者だとわかった時に悟ったのでしょう。
原作ではどのように描かれているのかはわかりませんが、身を削って輝きを取り戻した偽者の家宝を見て、自らも死によって輝くことが影武者の生き方であるということを。
2回目観れば、また違った視点で見れるかもしれません。