レビュー中心隠しコンテンツ
2007
ためしにひとつ、昔書いたレビューから引っ張ってきました。
小説の方。
『地下鉄(メトロ)に乗って』 (講談社文庫) 著者:浅田次郎
評価:★★★☆☆
■作品紹介■
幼少期、最愛の兄を亡くし父への反発心を未だに根深く抱く真二が、タイムスリップを経て父の激動の青春時代に触れ凍ったままだったあの日の時間を緩やかに溶かしていく感動ファンタジー。
現代の恋人みち子や過去で出会った青年アムールとの出会いが断片的だった過去のピースをひとつに繋げていく。
■簡易感想■
誰もが無条件に心打たれるストーリーだと思います。『鉄道員』に代表される浅田次郎の暖かく切ない人間ドラマがいかんなく詰め込まれた作品。
昭和初期のレトロな雰囲気の描写は心躍るようだし、戦時中の重く暗い死の臭いも鮮明に想像できます。多様な舞台にも注目して読んでみて下さい。
ただ、この作品は「感動した~」で終わらせてはもったいない気がするので、少し深く考察してみたいと思います。
以下、ネタバレするので注意してください!!!!
■ネタバレ考察■
さて、この話。一回読んだだけではどうも腑に落ちない点がいくつかある。
特にメインであるタイムスリップについて、多少説明不足なんじゃないかなぁ、とか。そこで、グダグダと考察してみたくなっちゃったわけなのですがね。
うまく結論にたどりつけるかどうか、保証はない。
●兄の死について
一連のタイムスリップの始めとなる事件。兄の命日で、のっぺいと話しているうちに兄のことを考えてしまいいつの間にかタイムスリップしてしまった。で、これを機に兄の死を回避しようぜ!という流れ。
商店街で家に帰れずにいる兄を家まで送り届け、自殺を回避したかのように思えたが、実際元の時代に戻ってきても何一つ変わっていなかった。
兄の死の真相は2回目の同じ時空へのタイムスリップで明かされることとなるが、このままでは何のために1回目のタイムスリップが起こったのかが説明されていないままである。
まさに「意味のなかったこと」で片付けてしまってもいいのだけど、物語の発端であるはずなのに「意味ない」じゃあんまりですよね?
兄の死について、村松(元運転手)に話を聞く機会がある。そこで村松は、霊安室での出来事を思い出すように語りだすが、ここに引っかかる点があった。
それは、従順だった松村が父に逆らい解雇されるというもので、真次は「意外でした。あのおとなしい村松さんが父に食って掛かるとは……」のような発言をする。その意外な行動の意味を村松は明かすわけだが、それは『商店街から帰ってきた昭一(兄)をかくまっていた事に少なからず責任を感じていたから』というものだった。
まてまて。真次は霊安室にはタイムスリップしていない。ということは、村松が父に楯突いたというのは子供の時の真次のリアルな記憶である。だが、その楯突いた理由は、大人になった真次がタイムスリップして「変えたはずの過去」にある。
ここから考えられる結論、それは『タイムスリップも全ての過去に同じように起こっていた』ということ。つまり、真次が子供だった、兄の死んだあの日も、未来の真次がやってきて兄を家に送り届けていたということだ。兄の死が避けられない運命だったというよりは、全ての時空で兄は死んでいる。そんな感じ?
しかし、タイムスリップが全ての時空に起こっていたこととなると説明つかないのは、みち子のことである。
●みち子の存在
お時の流産が全ての時空で起こっていたとなると、「みち子は初めから存在しない」ことになる。しかし、お時のが腹の子を流してしまった原因を作ったのは他ならぬ成長したみち子であって、「みち子が存在したからみち子が生まれなかった」という意味のわからん状況が生じる。
無理やり結論を出すならば、「みち子の存在した現在とみち子の存在しない過去が干渉して、みち子の存在しない未来に統合された」と説明するしかない。
つまり、みち子が生まれるか生まれないか、二通りの時空が存在したのだ。平行宇宙とでも言うのか。もともと存在しないはずのみち子をあるべき時空に正すためにタイムスリップが行われていた、と。非道な話であるが、過去現実をつきつけ、知れば知るほど存在できない自分を痛感し、自分の存在と愛する人の未来を天秤にかけた。
過去に真次の母親の千人針に参加したのは皮肉な話だ。
みち子が過去に生まれなかったことで、存在していた経緯も帳消しになりみち子の存在しない現実に戻ってきた真次。
さて、変わっていたのはみんながみち子の存在を知らないということだけ。他は何一つ変わっていない。みち子って、そんなに影響力のない人間だったの?
こんな弱小企業にはもったいないくらいの腕を持つデザイナーであったみち子。そんな彼女がいなくても会社は今までと変わらず経営されている。ホントかなぁと疑っちゃう。
映画では、真次が未来から持ってきたシルクの下着を見てアムールが繊維産業を思いついた、みたいな流れがあるそうだが原作にそれはない(たしか)。もしその下着に影響されていたとなると、それはみち子のデザインしたものであり、みち子が存在しなかったとなると小沼佐吉のサクセスストーリーもなかったことになってしまう。ということで、映画は変なエピソードを追加してしまったばかりに整合性がなくなってしまっているくさい、です。原作のままでいくなら、みち子がいてもいなくても小沼佐吉の大企業家になる未来は変わらなかったということだ。
みち子は、誰にも忘れられていない真次に嫉妬している。ここにヒントがあるのかな、と。結局みち子のいない時空に全てが帰結してしまうならみち子がいてもいなくても誰にも何にも影響がない、薄っぺらい存在。唯一影響を受けてしまった真次だけが彼女のことを「存在しない時空」でも覚えていて、超越した人間になりえた理由なのか、と。
腹違いの兄妹で愛し合ってしまうという未来があるから存在できなかったのか?それなら存在しなかったのは真次の方でもよかったはずなのに、どうして?愛人の子供だったから?兄の死も前の夫の子供だったから必然だったとでもいうのか?そんな結論は寂しすぎるというか、馬鹿げている推測ですが。そうだとするなら最後の小沼佐吉の台詞「あんまりじゃねぇか!俺ァ一晩に、子供を2人も殺してしまった」が重い。昭一のことだって、ちゃんと息子だと認めていたのですよね。この言葉を引き出すためだけの壮大なタイムスリップだったとしたら、真次にはあまりにも過酷な試練ですわな。
●タイムスリップの意味
真次とみち子の話を聞いて岡村が「全ての現象には理由があって、理由があるということは意思があるということだ」的なことを言う。単なる思わせぶりな偽伏線だったのかもしれないが、確かにメインであるタイムスリップに意味がないのではお粗末過ぎる。名言はされていないが、何かしらの意味があったと考えなくてはならない。
最後の最後になって、のっぺいが「実は私もタイムスリップしてるんですよ、てへ★」という種明かしをする。命の恩人である小沼佐吉の生涯を知りたいと強く願ったら出来ちゃった、というなんとも簡単な風に話してくれちゃうじゃないか。のっぺいはどうやら自由自在に時空を移動しているようである。ならば、真次とみち子のタイムスリップの仕掛け人はのっぺいなんじゃないかっていう説。
真次に兄の命日を思い出させたのはのっぺいとの会話である。そこで時空移動の能力を真次に分け与えたのだとしたら?その会話した時点で、実はのっぺいはこの時空にリアルに存在しているわけではないことが最後に種明かしされる。実際は病床にいて地下鉄で自由に時空の旅を楽しんでいるのだとか。そこまで卓越した能力があるのならば、真次にも分け与えることは可能だったのかも、という推測。
そしてそのまま一緒に寝ているみち子にも影響し、彼女もタイムスリップが可能となった。その時も、小沼佐吉の人生を知りたいと願っていたことから、強く念じることで(どこの時空のどの場所に行くかは決められないにしても)時を遡るらしいことがわかる。
のっぺいも真次もみち子も、共通しているのは「小沼佐吉」という人物を中心にタイムスリップしているということだ。だが、真次の最初のタイムスリップだけはどこか様子が違う。兄の死ぬ時空、しかも4時間も前に。兄を村松に預けるという役目を未来の真次にさせるのはわかったが、唯一小沼佐吉の絡まない場所への移動なのだ。一番初めがイレギュラー。最後の小沼佐吉の「子供を2人も殺してしまった」の壮大な伏線だとするなら、のっぺいが伝えたかったのは「君のオヤジは本当は粋なヤツなんだぜ。ずっと見てきてわかったろう?だから見舞いに行って、企業に参画しなさいな」ってことになる。みち子をみち子に殺させるように仕向けたのものっぺいということになり、真次の明るい将来の足を引っ張るみち子を存在しないものとするために仕掛けたっていう結論で本当にいいのか?そんな血も涙もない(汗)
まぁ、あくまで「のっぺいが仕掛け人」っていうのは推測ですし。終戦の夏の満州に真次が「居た」ということをどうやらのっぺいは知らなかったようだし……仕掛け人は結局わからず仕舞い。岡村の台詞は結局偽伏線か。
でね、最後の最後に出てくるルビーの指輪がよくわからないのよ。見落としている伏線があったのかな?それとも意味深に「誰かが忍ばせた」なんていう曖昧な表現にしているのかな?
話の流れでいけばみち子が忍ばせたものなのかもしれないが、存在しないみち子がそんなことできるはずもない……。
さて、この指輪の意味は?お心当たりのある人は、結局結論の出なかった私にそっと教えてくださいな。長々一気に書いて、疲れまちた。
小説の方。
『地下鉄(メトロ)に乗って』 (講談社文庫) 著者:浅田次郎
評価:★★★☆☆
■作品紹介■
幼少期、最愛の兄を亡くし父への反発心を未だに根深く抱く真二が、タイムスリップを経て父の激動の青春時代に触れ凍ったままだったあの日の時間を緩やかに溶かしていく感動ファンタジー。
現代の恋人みち子や過去で出会った青年アムールとの出会いが断片的だった過去のピースをひとつに繋げていく。
■簡易感想■
誰もが無条件に心打たれるストーリーだと思います。『鉄道員』に代表される浅田次郎の暖かく切ない人間ドラマがいかんなく詰め込まれた作品。
昭和初期のレトロな雰囲気の描写は心躍るようだし、戦時中の重く暗い死の臭いも鮮明に想像できます。多様な舞台にも注目して読んでみて下さい。
ただ、この作品は「感動した~」で終わらせてはもったいない気がするので、少し深く考察してみたいと思います。
以下、ネタバレするので注意してください!!!!
■ネタバレ考察■
さて、この話。一回読んだだけではどうも腑に落ちない点がいくつかある。
特にメインであるタイムスリップについて、多少説明不足なんじゃないかなぁ、とか。そこで、グダグダと考察してみたくなっちゃったわけなのですがね。
うまく結論にたどりつけるかどうか、保証はない。
●兄の死について
一連のタイムスリップの始めとなる事件。兄の命日で、のっぺいと話しているうちに兄のことを考えてしまいいつの間にかタイムスリップしてしまった。で、これを機に兄の死を回避しようぜ!という流れ。
商店街で家に帰れずにいる兄を家まで送り届け、自殺を回避したかのように思えたが、実際元の時代に戻ってきても何一つ変わっていなかった。
兄の死の真相は2回目の同じ時空へのタイムスリップで明かされることとなるが、このままでは何のために1回目のタイムスリップが起こったのかが説明されていないままである。
まさに「意味のなかったこと」で片付けてしまってもいいのだけど、物語の発端であるはずなのに「意味ない」じゃあんまりですよね?
兄の死について、村松(元運転手)に話を聞く機会がある。そこで村松は、霊安室での出来事を思い出すように語りだすが、ここに引っかかる点があった。
それは、従順だった松村が父に逆らい解雇されるというもので、真次は「意外でした。あのおとなしい村松さんが父に食って掛かるとは……」のような発言をする。その意外な行動の意味を村松は明かすわけだが、それは『商店街から帰ってきた昭一(兄)をかくまっていた事に少なからず責任を感じていたから』というものだった。
まてまて。真次は霊安室にはタイムスリップしていない。ということは、村松が父に楯突いたというのは子供の時の真次のリアルな記憶である。だが、その楯突いた理由は、大人になった真次がタイムスリップして「変えたはずの過去」にある。
ここから考えられる結論、それは『タイムスリップも全ての過去に同じように起こっていた』ということ。つまり、真次が子供だった、兄の死んだあの日も、未来の真次がやってきて兄を家に送り届けていたということだ。兄の死が避けられない運命だったというよりは、全ての時空で兄は死んでいる。そんな感じ?
しかし、タイムスリップが全ての時空に起こっていたこととなると説明つかないのは、みち子のことである。
●みち子の存在
お時の流産が全ての時空で起こっていたとなると、「みち子は初めから存在しない」ことになる。しかし、お時のが腹の子を流してしまった原因を作ったのは他ならぬ成長したみち子であって、「みち子が存在したからみち子が生まれなかった」という意味のわからん状況が生じる。
無理やり結論を出すならば、「みち子の存在した現在とみち子の存在しない過去が干渉して、みち子の存在しない未来に統合された」と説明するしかない。
つまり、みち子が生まれるか生まれないか、二通りの時空が存在したのだ。平行宇宙とでも言うのか。もともと存在しないはずのみち子をあるべき時空に正すためにタイムスリップが行われていた、と。非道な話であるが、過去現実をつきつけ、知れば知るほど存在できない自分を痛感し、自分の存在と愛する人の未来を天秤にかけた。
過去に真次の母親の千人針に参加したのは皮肉な話だ。
みち子が過去に生まれなかったことで、存在していた経緯も帳消しになりみち子の存在しない現実に戻ってきた真次。
さて、変わっていたのはみんながみち子の存在を知らないということだけ。他は何一つ変わっていない。みち子って、そんなに影響力のない人間だったの?
こんな弱小企業にはもったいないくらいの腕を持つデザイナーであったみち子。そんな彼女がいなくても会社は今までと変わらず経営されている。ホントかなぁと疑っちゃう。
映画では、真次が未来から持ってきたシルクの下着を見てアムールが繊維産業を思いついた、みたいな流れがあるそうだが原作にそれはない(たしか)。もしその下着に影響されていたとなると、それはみち子のデザインしたものであり、みち子が存在しなかったとなると小沼佐吉のサクセスストーリーもなかったことになってしまう。ということで、映画は変なエピソードを追加してしまったばかりに整合性がなくなってしまっているくさい、です。原作のままでいくなら、みち子がいてもいなくても小沼佐吉の大企業家になる未来は変わらなかったということだ。
みち子は、誰にも忘れられていない真次に嫉妬している。ここにヒントがあるのかな、と。結局みち子のいない時空に全てが帰結してしまうならみち子がいてもいなくても誰にも何にも影響がない、薄っぺらい存在。唯一影響を受けてしまった真次だけが彼女のことを「存在しない時空」でも覚えていて、超越した人間になりえた理由なのか、と。
腹違いの兄妹で愛し合ってしまうという未来があるから存在できなかったのか?それなら存在しなかったのは真次の方でもよかったはずなのに、どうして?愛人の子供だったから?兄の死も前の夫の子供だったから必然だったとでもいうのか?そんな結論は寂しすぎるというか、馬鹿げている推測ですが。そうだとするなら最後の小沼佐吉の台詞「あんまりじゃねぇか!俺ァ一晩に、子供を2人も殺してしまった」が重い。昭一のことだって、ちゃんと息子だと認めていたのですよね。この言葉を引き出すためだけの壮大なタイムスリップだったとしたら、真次にはあまりにも過酷な試練ですわな。
●タイムスリップの意味
真次とみち子の話を聞いて岡村が「全ての現象には理由があって、理由があるということは意思があるということだ」的なことを言う。単なる思わせぶりな偽伏線だったのかもしれないが、確かにメインであるタイムスリップに意味がないのではお粗末過ぎる。名言はされていないが、何かしらの意味があったと考えなくてはならない。
最後の最後になって、のっぺいが「実は私もタイムスリップしてるんですよ、てへ★」という種明かしをする。命の恩人である小沼佐吉の生涯を知りたいと強く願ったら出来ちゃった、というなんとも簡単な風に話してくれちゃうじゃないか。のっぺいはどうやら自由自在に時空を移動しているようである。ならば、真次とみち子のタイムスリップの仕掛け人はのっぺいなんじゃないかっていう説。
真次に兄の命日を思い出させたのはのっぺいとの会話である。そこで時空移動の能力を真次に分け与えたのだとしたら?その会話した時点で、実はのっぺいはこの時空にリアルに存在しているわけではないことが最後に種明かしされる。実際は病床にいて地下鉄で自由に時空の旅を楽しんでいるのだとか。そこまで卓越した能力があるのならば、真次にも分け与えることは可能だったのかも、という推測。
そしてそのまま一緒に寝ているみち子にも影響し、彼女もタイムスリップが可能となった。その時も、小沼佐吉の人生を知りたいと願っていたことから、強く念じることで(どこの時空のどの場所に行くかは決められないにしても)時を遡るらしいことがわかる。
のっぺいも真次もみち子も、共通しているのは「小沼佐吉」という人物を中心にタイムスリップしているということだ。だが、真次の最初のタイムスリップだけはどこか様子が違う。兄の死ぬ時空、しかも4時間も前に。兄を村松に預けるという役目を未来の真次にさせるのはわかったが、唯一小沼佐吉の絡まない場所への移動なのだ。一番初めがイレギュラー。最後の小沼佐吉の「子供を2人も殺してしまった」の壮大な伏線だとするなら、のっぺいが伝えたかったのは「君のオヤジは本当は粋なヤツなんだぜ。ずっと見てきてわかったろう?だから見舞いに行って、企業に参画しなさいな」ってことになる。みち子をみち子に殺させるように仕向けたのものっぺいということになり、真次の明るい将来の足を引っ張るみち子を存在しないものとするために仕掛けたっていう結論で本当にいいのか?そんな血も涙もない(汗)
まぁ、あくまで「のっぺいが仕掛け人」っていうのは推測ですし。終戦の夏の満州に真次が「居た」ということをどうやらのっぺいは知らなかったようだし……仕掛け人は結局わからず仕舞い。岡村の台詞は結局偽伏線か。
でね、最後の最後に出てくるルビーの指輪がよくわからないのよ。見落としている伏線があったのかな?それとも意味深に「誰かが忍ばせた」なんていう曖昧な表現にしているのかな?
話の流れでいけばみち子が忍ばせたものなのかもしれないが、存在しないみち子がそんなことできるはずもない……。
さて、この指輪の意味は?お心当たりのある人は、結局結論の出なかった私にそっと教えてくださいな。長々一気に書いて、疲れまちた。
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