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2026

0828
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2007

0601
石原慎太郎氏の話題作『俺は、君のためにこそ死ににいく』です。
(公式HP:www.chiran1945.jp/)

評価:
★★★☆☆

■作品紹介■
太平洋戦争末期、厳しい戦況に追い込まれた日本軍は「特別攻撃隊」として、片道の燃料と爆弾を積んだ飛行機で敵艦に突っ込むと言う捨て身の攻撃作戦が実行された。
数多くの若者が特攻隊として飛び立っていく姿を母のような愛情で世話し見守り続けたある女性の視点から描いた悲劇の物語。
特攻として命を捨てること、残された者の身を切り裂かれるような悲しみを儚く描いた作品。

■簡易感想■
戦争美化だとか、公開前は批判もあった作品ですが、見れば事実に基づいたしっかりとした作品です。
たぶん、「君のため」という文句に疑問を持った意見だと思うのですが、実際特攻に限らずその他の戦地で戦死していった人々も「天皇万歳」というよりは「おかあさーん!」と言って散っていった人の方が多数だと思います。靖国神社に掲示されている辞世の句を読んでみたらわかるかと思います。

さて、この映画の特徴は主人公が特攻隊員ではなく一般人の女性ということです。
私もよく知らなかったのですが、鳥濱トメさんは「特攻の母」と呼ばれ軍事マニアの間では有名な方だそうです。
軍規によって故郷の家族に手紙を書くことさえままならなかった彼らにとって、よく面倒をみてくれた彼女は本当に母のような存在だったのでしょう。
上官に殴りかかってまで彼女を助けた行動を見ればどれだけその思いが熱いのかわかります。
主人公が一般人だからこそ盲目的な戦争美化にもならず、冷静に全体を見渡せる視点になっているのだと思います。
鹿児島弁も優しくて心地良い。

戦後の話は蛇足のように思う人もいるかもしれませんが、主人公が彼女である以上必須のエピソードです。
特攻の若者の悲しみを描くことはもちろん大切なのですが、それを見送る人の悲しみ、残された人の悲しみを描かなくてはこの作品は完結しません。
この大きな悲しみが残ったからこそ、今でも戦争の悲劇は語り継がれるわけだし、現実として忘れられないわけです。
特攻の悲しみだけでは物語上の上っ面の涙だけになりかねませんが、私たちは生きている側の人間なので残された人の悲しみにシンクロできなければ本物の悲しみを感じることはできないでしょう。

次にもう少し突っ込んだ感想を書きたいとおもいますが、いつものようなネタバレがあるわけではなく、”戦争を扱った話”の私なりの考察をしていきます。

■考察■
戦争映画を見ているといつも思うことは「誰が誰だか区別がつかない……」ということでした。
それは単にシナリオの問題であったり、魅せ方が下手なんだとか、私の見方が悪いんだとか、その都度様々な理由をつけて片付けていたのですが、今回窪塚洋介という超個性俳優を起用していながら彼もまた他の役者に埋もれていることに気付いて、別の理由があるのではないかと考えました。
ビジュアルとして区別がつかないのは単純な話、軍隊だからですよ、ね。
みんな同じように短髪で、同じ戦闘服を着て、同じくらいの年齢の人間があれだけ集まれば見分けるのは容易ではありません。
つまり、ヒントはここにあったのです。舞台は軍隊。

軍隊では徹底的に個性を奪われるのは当然です。身なりや喋り方を統一されるのはもちろん、軍規によっていろいろな縛りがあったわけですから本来持っているはずの個性によって物語りを動かすことはできないのです。
この「俺は~」の中でも個性によってシナリオが構成されている箇所はほとんどありません。
全員真っ直ぐで、素直な良い青年で、そしておかあちゃんが大好き。
唯一彼らを区別しているのは境遇。
朝鮮人である青年や、2度も特攻に失敗した青年、その他老いた父と幼い兄弟を残して逝こうとする青年や思い人を残して逝こうとする青年など、彼らの存在は彼ら個人の存在のみで確立するわけではなく、その周囲の人物あっての「登場人物」であることが重要であるのです。

この物語において、登場人物の周囲を描くと言うことは大変重要な基盤になります。
先にも書いたように、この話で一番重要なのは特攻の彼らの心情ではなく残された者の悲しみなのです。
彼らだけで完結している物語であるなら、家族や恋人とのエピソードを描く必要なないのです。
逆に言えば、彼らが今もなお語り継がれるのは周囲の人との繋がりがあったからなのです。

戦争映画における没個性は理解できました。
この時、没個性の全く逆を行く戦争映画として『プライベートライアン』を思い出します。
軍隊の話でも小隊という特殊な状況の話ではありますが、それでもそれぞれの役割がしっかりしていて(銃の腕があったり、救護班の人間であったり、暗号解読が得意であったり)いわゆるRPGのような雰囲気です。
リアリティを追求した映画だと言われていますが、やはり個性を際立たせるだけ際立たせ周囲の状況をほとんど描かないのは戦場と日常が完全に切り離されてしまっている「作られた物語」のように思います。

どちらの作品がいいというわけではありませんが、やはり視点がどこに置かれるかには注意して鑑賞しなければならないと改めて思いました。
狭い視点のみで描かれている物語はのめりこみ過ぎに注意しなければならないし、広い視点で描かれている物語はどこの誰にシンクロしていくかに注意しなければなりません。

「俺は~」は一歩引いた視点を提供してくれている分、のめり込みすぎることもなく落ち着いてじっくり全体が見えてくる仕掛けになっていると思います。
「かわいそう」だけで終わらせてはいけません。
残された人々にとっても、戦争は悲劇だったことを思い出さなければならないと思います。
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2007

0515

死ぬほどショックです……もうすぐラストというところで全て消えました(大泣)
頑張れます……か?ね?ホント泣きそう……

期間がとんでもなく開いてしまって申し訳ないです。
「まぁ、裏ブログだしな」と広い心で見守ってくださるとありがたいです。


さて、本題。
今回はあの話題作『BABEL(バベル)』
(公式HPbabel.gyao.jp/

評価:★★★★☆

■作品紹介■
モロッコ旅行中に銃撃されたアメリカ人夫婦。
この事件を中心に様々な国に住む様々な人々の物語を描いた群像劇。
人との繋がりとは、コミュニケーションとは何かと深く問いかける作品である。

■簡易感想■

私は文学部に在籍しているので、ストーリーや登場人物の心情を読み取ることや、作品の裏側に隠された作者の意図を読み取るという作業には慣れています。
しかし、これほど感想に困った今までに作品はありませんでした。
最初にやっと出た感想は「疲れる映画だったね」というくらいだったのです。

というのも、基本知識をまったく入れずに軽い気持ちで見に行ってしまったからという要因がかなり大きいと思います。
そもそも、バベルとは何ですか?というところから曖昧だったのです。
それじゃいけませんね……反省してます。

これから見に行く方のために簡単な説明を。
バベルの塔という話は旧約聖書のエピソードです。
神に近づこうと人間たちは天まで届くほど高い塔を建設しました。
その愚行が神の怒りに触れ、元々一つの言語を話し一つの地域にいた人間をバラバラの土地のバラバラの言語を使うようにしてしまったのです。
(ソース:ウィキペディアja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%99%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%A1%94)

さて、この話を知っていればこの映画の意図が見えてくると思います。
テーマはコミュニケーション
ある悲しい出来事をきっかけに冷めてしまった夫婦。
聾の少女と父親との溝。
国境に分断された母と息子。
そして思春期特有の兄弟間の微妙な関係。

様々な土地で様々な事情で孤独を抱える人々。
水の波紋のようにじわじわと広がりその細く拙い繋がりが徐々に明らかになっていく。

さて、この映画には根幹になる基本ストーリーというものがありません。
もちろん、アメリカ人旅行者が銃撃された事件がメインの話ではあるのですが、それが他の全ての物語に重要な役割を果たしているわけではありません。
そこがこの映画の新しいところだといえるポイントでしょう。
いままでも、同じ出来事や同じ土地に集まる様々な人々の視点から物語を描き、それを中心にどんどん集めていくことでひとつの大きな真実にたどりつくという構造は多々ありました。
しかし、この作品はひとつに繋がることはなく、広がりっぱなしで、作品は終わってからもまだ展開がありそうな打ち切りのような印象を残すエピソードも含まれています。
煮え切らない、なんとも感想の言いづらい原因はここにもありそうです。

では、具体的に作品を掘り下げていってみましょう。
以下ネタバレするので未見の方は気をつけてください。












■ネタバレ感想・考察■
先にも述べたように、この作品はちょっと変わった構造をとっています。
この構造は慣れないとまとまりのないだらだらした物語だと言う印象も受けるかもしれません。
まずは、この構造について詳しく分析してみましょう。

●作品構造
公式HPでは出演者がパズルのピースを模した「バベル」のポスターをそれぞれ持っている写真が掲載されています。
製作者側としては各物語を繋ぎ合わせると大きな物語が見えてくるというイメージがあるのかもしれませんが、私には逆にある中心から木の枝のように広がり、そのまま中心に戻ってくることなくどんどん増殖していくイメージを持ちました。
その中心の出来事は必ずしも他の各物語に重要な影響を及ぼしているわけではなく、枝分かれのさらに枝分かれしたところにあったり、ほとんど関係なかったり……
つまり、この作品には中心ストーリーはなく、それぞれの物語が独立していると考えられるのです。
バベルの塔のエピソードを思い出せばこのイメージもわきやすいかと思います。
あくまで、中心地から各地に広がったのであって、中心に集まってくるという話ではないのです。

さて、各物語が独立していたとしても関係のない話を集めたわけではありません。
ここで隠れテーマ、コミュニケーション。
それぞれの物語でどのような意味が込められ、どのような結末を迎えるのか、具体的に見て行きましょう。

●モロッコの兄弟
彼らの放っていしまった銃弾から悲劇は始まります。
元は単なる兄弟の幼い競争心が生んだ事件だったのですが、それは国際問題にまで発展し最悪の結末を迎えます。
中心事件の当事者である彼らですが、実は事件の全容を知っているわけではないのがポイントだと思います。
父親が「なんてことをしたんだ!人が死んでいるんだぞ!」と彼ら兄弟を叱っているのですが、実際にはアメリカ人妻は死んでいません。
この国において重要なのは人を殺したということよりもアメリカ人を襲ったということのほうが恐ろしく重大な事件になるのです。
たとえ犯人が子供で、彼を銃殺してしまったとしても、アメリカ人が撃たれた事実の方が大きく報道されるのです。

ここに横たわるのは人種問題。国際問題。
神は人間を土地と言語による壁で隔てただけでなく、人種差別と言う大問題で隔たりを生んでしまっていたのです。

●メキシコ人のベビーシッター

人種問題という点では彼女もその被害者です。
時間軸の話でいえば、彼女の物語は例の銃撃事件のあとに起こった物語なので中心からかなり遠いところにいると言えます。
しかし、あの銃撃事件が起こらなければ主人夫婦の溝は埋まることはなくても彼女は息子の結婚式になんの問題もなく出席し幸せなエンディングを迎えられたでしょう。
皮肉な運命のめぐり合わせでした。

さて、ここで注目されるのは、ある物語では感動の主人公であった二人の夫婦は、彼女の物語では悪い存在にしか描かれていないということです。
一度許可した結婚式の出席を金の力で延期しようとしたり、家族同然に暮らしてきたベビーシッターの不法滞在を弁護することなく強制送還させてしまったりと非道な役割ばかりです。
感動の物語の裏に隠された悲劇を描き出すというのもこの作品構造の特徴です。

しかも、この物語はモロッコの物語以上に明らかにされていない事実が多いのもポイントです。
甥の安否も、アメリカ人兄弟のその後の詳細も、何もわからず転がり落ちるままに天国と地獄を見た彼女の物語はまだ完結しきっていないまま打ち切られてしまいました。

●日本人の聾少女
どんどん中心の物語から関係が薄れていきます。
事件のこと自体最後の最後に知らされるだけだし、刑事でさえアメリカ人妻の退院ニュースにさほど関心をしめしません。
彼らには彼らの重要な案件を抱えていて、銃撃事件は他のニュースに紛れてしまう遠い世界のエピソードに過ぎないのです。

この物語の主人公は耳の聞こえない少女。ただでさえ言葉と地域に分断された人間なのに、さらにその言葉も操れないという孤独。
彼女は誰とも繋がれない孤独を体での繋がりで求めようとします。
最後に父と和解する場面で終わるのは、人間の心の繋がり、心のコミュニケーションを表現したのでしょう。ここだけ切り取ればベタな演出ですが。

この話の中でも完全には明らかにされない部分が多い。
母親の死の真相も曖昧であるし、少女が何故刑事に嘘をついたのか、そして最後に渡した手紙には何が書かれていたのか、ヒントが少なすぎてとても想像が及びません。
つまり、この話も終わってはいないのです。
何を持って完結とするか、物語においては重要なテーマです。しっかりと結末がついていないと非常に煮え切らない中途半端なものになるでしょう。
このバベルという作品は意図的にこのような演出がなされているものと思われます。
元からストーリーなどなく、それぞれの人々のほんの一瞬の一コマを描いただけ。それを積み重ねただけ。
それを象徴するエピソードのひとつだと思います。

●アメリカ人夫婦
たぶん、この作品の中では中心に来るエピソードでしょう。
危機を供に乗り越え、消えかけていた夫婦の絆を取り戻した、彼らが主人公であったら最高にハッピーなストーリー。
しかし、夫婦が絆を取り戻すまでの間には、他の様々な絆が分断されていきました。
同じ旅行仲間であった他のアメリカ人観光客にも見捨てられ、母国にさえ国際問題を理由になかなか救助を出してもらえずにいます。
言語の通じない国に取り残された彼ら二人は、他の雑音を取り除かれたことによってやっと心を通わすことが出来たわけです。
これは、もともと雑音のない世界にいた日本人少女と対比することができます。
雑音を求めていた少女は自ら心を通わすチャンスを潰してしまっていたというわけです。

さて、妻は一命を取り留めるわけですが、その後にも大切な絆を失っています。
ベビーシッターとの決別。そして、これは想像にすぎませんが、ずっと世話してきてくれた彼女を追い出してしまった両親を子供たちはどう思うでしょうか。
この後にも、まだまだ波乱の展開が待ち受けているかもしれません。
けれど、話はここで幕を閉じる。
ベビーシッターのエピソードはそんな波乱を予感させる布石でもあったのかもしれません。

●まとめ

今までの整理によって、この作品は単に平面でリンクしているだけの話ではなく、もっと立体的に時間的に複雑に枝分かれして広がっていく話だとわかりました。
どこかに執着することなく広がりっぱなし。
作品は終わっても、これからまだ伸び続けるかもしれないし、また新しい分岐点が生まれるかもしれない。そしてどこかに繋がるのかもしれない。
そういう、どこまでも果てしなく広がる人間の人生を楽しむ作品だったのです。

2007

0329
ためしにひとつ、昔書いたレビューから引っ張ってきました。

小説の方。
『地下鉄(メトロ)に乗って』 (講談社文庫) 著者:浅田次郎

評価:★★★☆☆

■作品紹介■
幼少期、最愛の兄を亡くし父への反発心を未だに根深く抱く真二が、タイムスリップを経て父の激動の青春時代に触れ凍ったままだったあの日の時間を緩やかに溶かしていく感動ファンタジー。
現代の恋人みち子や過去で出会った青年アムールとの出会いが断片的だった過去のピースをひとつに繋げていく。

■簡易感想■
誰もが無条件に心打たれるストーリーだと思います。『鉄道員』に代表される浅田次郎の暖かく切ない人間ドラマがいかんなく詰め込まれた作品。
昭和初期のレトロな雰囲気の描写は心躍るようだし、戦時中の重く暗い死の臭いも鮮明に想像できます。多様な舞台にも注目して読んでみて下さい。

ただ、この作品は「感動した~」で終わらせてはもったいない気がするので、少し深く考察してみたいと思います。
以下、ネタバレするので注意してください!!!!






■ネタバレ考察■
さて、この話。一回読んだだけではどうも腑に落ちない点がいくつかある。
特にメインであるタイムスリップについて、多少説明不足なんじゃないかなぁ、とか。そこで、グダグダと考察してみたくなっちゃったわけなのですがね。
うまく結論にたどりつけるかどうか、保証はない。


●兄の死について
一連のタイムスリップの始めとなる事件。兄の命日で、のっぺいと話しているうちに兄のことを考えてしまいいつの間にかタイムスリップしてしまった。で、これを機に兄の死を回避しようぜ!という流れ。
商店街で家に帰れずにいる兄を家まで送り届け、自殺を回避したかのように思えたが、実際元の時代に戻ってきても何一つ変わっていなかった。
兄の死の真相は2回目の同じ時空へのタイムスリップで明かされることとなるが、このままでは何のために1回目のタイムスリップが起こったのかが説明されていないままである。
まさに「意味のなかったこと」で片付けてしまってもいいのだけど、物語の発端であるはずなのに「意味ない」じゃあんまりですよね?

兄の死について、村松(元運転手)に話を聞く機会がある。そこで村松は、霊安室での出来事を思い出すように語りだすが、ここに引っかかる点があった。
それは、従順だった松村が父に逆らい解雇されるというもので、真次は「意外でした。あのおとなしい村松さんが父に食って掛かるとは……」のような発言をする。その意外な行動の意味を村松は明かすわけだが、それは『商店街から帰ってきた昭一(兄)をかくまっていた事に少なからず責任を感じていたから』というものだった。
まてまて。真次は霊安室にはタイムスリップしていない。ということは、村松が父に楯突いたというのは子供の時の真次のリアルな記憶である。だが、その楯突いた理由は、大人になった真次がタイムスリップして「変えたはずの過去」にある。
ここから考えられる結論、それは『タイムスリップも全ての過去に同じように起こっていた』ということ。つまり、真次が子供だった、兄の死んだあの日も、未来の真次がやってきて兄を家に送り届けていたということだ。兄の死が避けられない運命だったというよりは、全ての時空で兄は死んでいる。そんな感じ?

しかし、タイムスリップが全ての時空に起こっていたこととなると説明つかないのは、みち子のことである。


●みち子の存在
お時の流産が全ての時空で起こっていたとなると、「みち子は初めから存在しない」ことになる。しかし、お時のが腹の子を流してしまった原因を作ったのは他ならぬ成長したみち子であって、「みち子が存在したからみち子が生まれなかった」という意味のわからん状況が生じる。
無理やり結論を出すならば、「みち子の存在した現在とみち子の存在しない過去が干渉して、みち子の存在しない未来に統合された」と説明するしかない。
つまり、みち子が生まれるか生まれないか、二通りの時空が存在したのだ。平行宇宙とでも言うのか。もともと存在しないはずのみち子をあるべき時空に正すためにタイムスリップが行われていた、と。非道な話であるが、過去現実をつきつけ、知れば知るほど存在できない自分を痛感し、自分の存在と愛する人の未来を天秤にかけた。
過去に真次の母親の千人針に参加したのは皮肉な話だ。

みち子が過去に生まれなかったことで、存在していた経緯も帳消しになりみち子の存在しない現実に戻ってきた真次。
さて、変わっていたのはみんながみち子の存在を知らないということだけ。他は何一つ変わっていない。みち子って、そんなに影響力のない人間だったの?
こんな弱小企業にはもったいないくらいの腕を持つデザイナーであったみち子。そんな彼女がいなくても会社は今までと変わらず経営されている。ホントかなぁと疑っちゃう。
映画では、真次が未来から持ってきたシルクの下着を見てアムールが繊維産業を思いついた、みたいな流れがあるそうだが原作にそれはない(たしか)。もしその下着に影響されていたとなると、それはみち子のデザインしたものであり、みち子が存在しなかったとなると小沼佐吉のサクセスストーリーもなかったことになってしまう。ということで、映画は変なエピソードを追加してしまったばかりに整合性がなくなってしまっているくさい、です。原作のままでいくなら、みち子がいてもいなくても小沼佐吉の大企業家になる未来は変わらなかったということだ。

みち子は、誰にも忘れられていない真次に嫉妬している。ここにヒントがあるのかな、と。結局みち子のいない時空に全てが帰結してしまうならみち子がいてもいなくても誰にも何にも影響がない、薄っぺらい存在。唯一影響を受けてしまった真次だけが彼女のことを「存在しない時空」でも覚えていて、超越した人間になりえた理由なのか、と。
腹違いの兄妹で愛し合ってしまうという未来があるから存在できなかったのか?それなら存在しなかったのは真次の方でもよかったはずなのに、どうして?愛人の子供だったから?兄の死も前の夫の子供だったから必然だったとでもいうのか?そんな結論は寂しすぎるというか、馬鹿げている推測ですが。そうだとするなら最後の小沼佐吉の台詞「あんまりじゃねぇか!俺ァ一晩に、子供を2人も殺してしまった」が重い。昭一のことだって、ちゃんと息子だと認めていたのですよね。この言葉を引き出すためだけの壮大なタイムスリップだったとしたら、真次にはあまりにも過酷な試練ですわな。


●タイムスリップの意味
真次とみち子の話を聞いて岡村が「全ての現象には理由があって、理由があるということは意思があるということだ」的なことを言う。単なる思わせぶりな偽伏線だったのかもしれないが、確かにメインであるタイムスリップに意味がないのではお粗末過ぎる。名言はされていないが、何かしらの意味があったと考えなくてはならない。
最後の最後になって、のっぺいが「実は私もタイムスリップしてるんですよ、てへ★」という種明かしをする。命の恩人である小沼佐吉の生涯を知りたいと強く願ったら出来ちゃった、というなんとも簡単な風に話してくれちゃうじゃないか。のっぺいはどうやら自由自在に時空を移動しているようである。ならば、真次とみち子のタイムスリップの仕掛け人はのっぺいなんじゃないかっていう説。
真次に兄の命日を思い出させたのはのっぺいとの会話である。そこで時空移動の能力を真次に分け与えたのだとしたら?その会話した時点で、実はのっぺいはこの時空にリアルに存在しているわけではないことが最後に種明かしされる。実際は病床にいて地下鉄で自由に時空の旅を楽しんでいるのだとか。そこまで卓越した能力があるのならば、真次にも分け与えることは可能だったのかも、という推測。
そしてそのまま一緒に寝ているみち子にも影響し、彼女もタイムスリップが可能となった。その時も、小沼佐吉の人生を知りたいと願っていたことから、強く念じることで(どこの時空のどの場所に行くかは決められないにしても)時を遡るらしいことがわかる。

のっぺいも真次もみち子も、共通しているのは「小沼佐吉」という人物を中心にタイムスリップしているということだ。だが、真次の最初のタイムスリップだけはどこか様子が違う。兄の死ぬ時空、しかも4時間も前に。兄を村松に預けるという役目を未来の真次にさせるのはわかったが、唯一小沼佐吉の絡まない場所への移動なのだ。一番初めがイレギュラー。最後の小沼佐吉の「子供を2人も殺してしまった」の壮大な伏線だとするなら、のっぺいが伝えたかったのは「君のオヤジは本当は粋なヤツなんだぜ。ずっと見てきてわかったろう?だから見舞いに行って、企業に参画しなさいな」ってことになる。みち子をみち子に殺させるように仕向けたのものっぺいということになり、真次の明るい将来の足を引っ張るみち子を存在しないものとするために仕掛けたっていう結論で本当にいいのか?そんな血も涙もない(汗)
まぁ、あくまで「のっぺいが仕掛け人」っていうのは推測ですし。終戦の夏の満州に真次が「居た」ということをどうやらのっぺいは知らなかったようだし……仕掛け人は結局わからず仕舞い。岡村の台詞は結局偽伏線か。

でね、最後の最後に出てくるルビーの指輪がよくわからないのよ。見落としている伏線があったのかな?それとも意味深に「誰かが忍ばせた」なんていう曖昧な表現にしているのかな?
話の流れでいけばみち子が忍ばせたものなのかもしれないが、存在しないみち子がそんなことできるはずもない……。
さて、この指輪の意味は?お心当たりのある人は、結局結論の出なかった私にそっと教えてくださいな。長々一気に書いて、疲れまちた。

2007

0329
■ご挨拶■
こんにちは、はじめまして。華刹です。
このたび新たにブログを再開することになりました。

■カゴネコ裏ブログについて■
このブログはカゴネコ(kasetsu.gozaru.jp/)の隠しコンテンツ的なものとして運営しております。
本家の日記はオリジナルイラスト中心ですが、こちらでは映画小説のレビュー中心でいきたいと思います。たまに芸能なんかも扱っていく雰囲気で!
ミクシィや何かでレビューしてもなかなか反応もらえないわけです。趣味が偏っている所為もありましょうが……
なので、こちらでは自由にのびのび書かせていただきます!

基本構成は評価(五段階)・紹介文簡易感想の後に、ネタバレ感想及び考察が入ります。
含ネタバレ文に入る前には注意文と数行の空白を設けますが、未見のものでこれから見る予定の方は十分お気をつけください。

また、感想等には私の個人的意見が反映ています。稀に毒を吐いていることもあるかと思いますが、不快に感じた方は辺境の一意見として華麗にスルーして下さると助かります。
紹介文にはそれらをなるべく反映しないような第三者的視点で書くよう努めておりますので、未見の方はこちらを参考にしていただければと思います。


■管理人:華刹について■
遅ればせながら、簡単に私の自己紹介でも……
映画は基本的になんでも見ます。特に好きなジャンルはサイコサスペンスホラーもあり、だけどこれはオチに厳しい。逆に苦手なジャンルはアクション。ハリウッド系の「とりあえず爆発しとけ!」みたいなノリはあまり乗り気じゃない……
二次元(漫画とかゲーム)は少し守備範囲狭いかも。ゲームならスクエニ・ときメモは強め。漫画は最近は古谷実ばかり読んでいます。
お笑いは大本命。あまりディープすぎるとわからないこともありますが、たいていは語れると思います。シュール系の人々はハマりやすい。
小説は最近は乙一ばかり。あとは山田詠美も大好き!基本現代小説。たまに近代。


長々書きましたが、何卒よろしゅう願います。ひっそり細々と運営していきたいと思いますので。
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プロフィール
HN:
華刹
年齢:
43
HP:
性別:
女性
誕生日:
1983/06/19
職業:
(まだ)学生……
趣味:
イラスト描き・文章書き
自己紹介:
メイドとかセーラー服とか描くのが好き。腐ってはいません。
FF狂、ねこ狂。
最近はも好き。なんでもあり、ですね!
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